インドア系フラヌール

日記に見せかけた怪文書

最近はウマ娘のやつをやってる

いつの間にかゴールデン・ウィークが終わっていた。

仕事と、ウマ娘のゲーム以外はほとんど何もしなかった。

育成ゲーム、結構好きなので、こりゃハマったら危ないな〜と思ってなかなかやらなかったのだけど、やってしまったら案の定みごとにハマった。

アプリをダウンロードしてから1週間ぐらい、途中忙しくて3日間ぐらい触っていなかったので、今は正味4日目ぐらいか。さっきやっと、初めて”うまぴょい”できた。課金すればすぐに強くなるんだろうけど、無課金勢にはほどよい難しさがあって飽きない。ちなみに攻略サイトなどは見てない。

 

人生が育成ゲームだったらいいな、と思ったことない? 私はあるよ。いろいろなスキルが数値化されていて自分の現状や、次にどこを伸ばせばいいかがひと目で分かり、選択肢が絞られていて、成功にせよ失敗にせよその場でフィードバックがあり、次に生かせる……リアル・ライフもそうだったらいいと思わない? まあそうじゃないから人間なわけだし、そうじゃないからこそおもしろいこともあるのだけどね……。

しかし、いわゆるビデオ・ゲームができてからももうだいぶ経つのに、今もなおそういうシステムのゲームがずっと流行っているってことは、私だけじゃなくて、人類全体の隠れた理想というか願望みたいなのがあるんじゃない? と思ったりもする。前の段落と言っていることが矛盾しているが、それが本当に実現してしまったら恐ろしい気もするけどね。まあ現にそうなる可能性は現時点では限りなくゼロに近いので、ゲームはゲームで楽しみつつ、ウマ娘(やパワプロくんやときメモの主人公)は日々成長しているのにどうして俺は……とギャーギャー騒ぎながら生きていくしかないんでしょうね。そもそも、人間や社会が日々成長する(良い状態になっていく)、という前提そのものがおかしいですが……。

 

まあそういうわけで、ウマ娘プリティーダービーというゲームはなかなかおもしろいです。ゲームのなかのサクラバクシンオーのキャラが好きなので私も翻訳界のサクラバクシンオーを目指そうかなと思いました。バクシンバクシン! やっぱりやめときます。

 

ちなみに今日(日付的には昨日)の京都新聞杯はみごとに外しました。ウマ娘のレースでは勝てるのにどうしてリアル馬は……。

明日からもまたそうやって嘆きながらやっていこうと思います。

 

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あ、こんな駄文を書いたあとにアレなんですが、ちょっとしたお知らせを。最近は『クーリエ・ジャポン』の翻訳もやらせてもらっています。最近はこういうものをやりました。

courrier.jp

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基本的に有料なのですが、世界中の信頼できるメディアの記事を、ニュースからコラムまで、オールジャンルで取り扱っているサイトです。日本のメディアでは取り上げられない情報を得られたり、おもしろい読み物があったりするので、会員登録の価値ありです。ぜひぜひ。

 

ステイホームで麻雀をして楽しかった

4月30日の日記。

 

今日は大学のときの友達とネットで麻雀をした。

大学のときに毎日ともに麻雀を打ってたメンツなので、ホーム感があって安心する。

大学のときは、本当に麻雀ばかりやっていた。授業が終わると、バイトのない日は家に帰って課題をやり、課題を終えて夕飯を食べた後に誰かの家に集まって麻雀をする。そういう生活だった。今振り返ると、もっとそのときに勉強などをしておけばよかったのでは? という気もするが、楽しかったのでいいんじゃないかな、と自分に言い聞かせている。今日は、あの頃からもう10年か、という話になり、ちょっとつらくなっ……いや、私は22歳(自称)ですので、つい最近の話でした、何でもありません(苦しい)。

麻雀は不完全情報ゲームだから楽しい。私にはチェスや将棋のような完全情報ゲームの定石を覚え込む能力も頭に叩き込む根気もないという、個人的な能力差の問題もあるが、私が不完全情報ゲームを好むのはそれだけが理由ではない。不完全情報ゲームの本質に私はむしろ惹かれている。

麻雀にだって定石というか、基本の打ち方みたいなのはあるけど、最終的な判断は相手の動き、その場の状況や運、自分のそのときの目的(たとえばこの局で何が何でもトップをとりたいのか、あるいは相手の親番を流すだけでいいのか)など、再現性のないものをもとになされる。それにも統一的な基準があるわけではなく、今どうしてそういう判断をしたのか、理由をつけてそれらしい説明を組み立てられはするが、究極的には、自分でも1から10まで完全に説明することは不可能だ。そういうものはちょっとオカルトめいていると思う人もいるかもしれないけど、私たちの実際の生き方だって、画一的な基準ではない判断の積み重ねだ。私たちの思考だってそうで、決して常に「テキトー」に意思決定されているわけでもないし、常に本能にドライブされて完全に自律性を失っているわけでもない。しかし自律的な(そうだと私たち自身が考えている)思考・判断の裏にも、完全には説明できないものがある。だからこそ、人生は何があるかわからなくて面白いのだと思う。

こじつけなんじゃないかという気が自分でもしているけど、こういう不完全情報ゲーム的なあり方は、まさに私の仕事である翻訳や、本を解釈することにも重なると思う。

当たり前だけど、翻訳、特に本の翻訳は、起点原語と目標言語が必ずしも一対一で対応していない。辞書に書いてあるのは答えではない、という有名な話は詳しく語るまでもないと思うけど、それだけではなくて、同じ本のなかで起点原語の同じ単語が複数箇所に出てきても、それが目標言語になったとき、必ず全ての箇所で同じになるわけではないということだ。(もちろん、逆に本のなかで統一しなきゃいけない局面もある)。その判断にはさまざまな要素が絡んでくる。「文脈が違うため」とか「起点原語の”読みやすさ”と目標言語の”読みやすさ”が必ずしも一致しないため」とか、いろいろそれらしい要素を具体的にあげることはできる。もちろん、それは間違いではないのだが、そこからこぼれ落ちている、具体的に言語化できない判断基準も翻訳者は自覚せずして持っているはずだ。(一流の大御所などはそうは思わないかもしれない。でも少なくとも私はそう思ってやっている)

このような領域の判断基準は、粗い言葉でまとめてしまえば「センス」というものだろうか。理論化できないので、解説のしようも伝授のしようもないのだと思う。(そして、少なくとも現在の形の機械では再現不可能なものだ。AIの判断基準は、たくさんのデータの最大公約数的なものにすぎない。そのサンプル数と計算の精度を高めていけば「文脈」を正しく読めているかに見えるヒット率は高くなるかもしれないが、そこにあるのはそもそも解釈のプロセスではない)。だけど、他の人のものを参考にしたり、他者からフィードバックをもらったり、自分で振り返ったりして、磨いていくことはできる。完全な答えはないとしても、日々そのようにして不完全な世界でのセンスを高めていきたいと、決意を新たにした。

で、何の話でしたっけ。麻雀はめっちゃ楽しいねという話でした。

横浜に行った

今日は横浜に行きました。

友人が引っ越しをしたので新居にお邪魔させてもらいました。

友人の京都土産の千寿せんべいと私のドイツ土産のミルカチョコを食べて、アニメ映画やドイツ映画を観ました。楽しかったです。

友人の新居は立地がよくて広くてきれいで、私もそういうところを自宅兼仕事場にしたいな〜と思いました(友人は同業ではなく、普通に外に出勤して働いていますが)。がんばります。

同じ場所で行きと帰りに写真を撮りました。

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横浜、日当たりがいいとなんか明るくていいですね。

もりもり訳したい

4月ですね。新年度や新学期が始まり、新鮮な気分の方も多いと思います。私は実質的にはあまり関係ありませんが、雰囲気はよく伝わってくるので、自分もこれを機に心機一転がんばろうという気にはなりますね。

こんなブログをどんな人が見てくれているのかわかりませんが、月1ぐらいで活動報告と今後の予定というか、どんなことをやり終えて、今はどんなことやっていますよーみたいなのと、それについての所感みたいなのを、書ける範囲で(公開情報になる前は守秘義務があるので具体的なことはあんまり書けないのですが)書こうかな、と思いました。

 

まずは活動報告。先月26日、これは何度も申し上げましたが、『気候変動に立ちむかう子どもたち』が太田出版より出ました。全国の書店、通販サイトでの販売のほか、Kindle版もあります。引き続きよろしくお願いいたします。

これは実は、いや実はというかみんな知ってるか、商業での翻訳デビュー作なんですけれども、1冊目からこういう本を担当させていただいて本当によかったと思っています。この本のポイントは以前(2つ前ぐらい)の記事に書いたのでそっちを参照してほしいのですが、本当に広く読まれてほしい本となっています。

あと、これは本当に個人的なことですが、20代のうちにデビューできたのも本当によかったです。先日、『タコの心身問題』や『Think CIVILITY(シンク・シビリティ) 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』で有名な翻訳家の夏目大さんがフリーランスになって25周年ということでしたが、夏目さんが独立されたときの年齢と今の私の年齢がたぶん同じです。私もこれから翻訳を25年以上続けたいなあと思うし、夏目さんのような量を出したいです。精進します。

 

次は現在どんなことをやっているのかの報告です。

幸いなことに、2冊目のお話をいただいています。こちらは教養書っていうのかな? 専門家が一般向けに書いたもので、1冊目とはカラーがだいぶ違い、もっと硬派な感じです。それでもとっても面白いし、今こそ読まれるべきだな〜という感じのものです。ただスケジュール的に今年中には出ないと思います。

それとは別に、Kindle限定で1タイトル、新星の個人版元から出してもらえる予定です。大手が(採算などの関係で)出しにくいけれども、確実に読まれるべき面白いものをKindleでやろう、というコンセプトのもとに最近作られたところです。私は今回ドイツ文学の古典の新訳をやります。原稿はあがっているのでもうすぐだと思います。出たらまたお知らせします。

ちょっと話が脱線しますが、このほかにもやりたいと思う古典新訳の企画がいくつかあります。古典新訳って有名どころじゃないとまず大手では出ないイメージだし、古典を訳すのは大御所の研究者と相場が決まっているので(そのお約束については個人的に疑問に思うところもあり、いつか集中的に論じたいですが)、まだ具体的な話は何もないのですが、Kindle限定でもいいのでどこかで出してもらえたらうれしいなー(チラッチラッ)と考えています。まあKindleだったら、完全に自分だけで出すという手もなくはないですし(編集など全部自分でやらなきゃいけないので大変そうですが)、使い方によっては斬新なことや面白いことがいろいろできるんじゃないかと思うので、KindleKindleでどう利用していくかみたいなこともじっくり考えたほうがいいかもしれません。

あと現在、某ウェブメディアの記事の翻訳もやらせていただいています。これもいろいろなことが翻訳の過程で知れて楽しい。やればやるほど(語学力以外の部分でも)知識がどんどんついていくことが翻訳業の醍醐味の1つだと思います。極端な話、そういうのが好きで翻訳業を志したみたいなところもあります。もちろん、自分が学ぶだけではなく、それをしっかり訳文の形でアウトプットしていく努力も忘れませんし、それも楽しいですけど。

という感じで、現在は以上のような作業をやって日々を過ごしています。

しかし――もうストレートに言ってしまいましょう――それでもまだ現在、もりもり訳せる余裕があります! 一般向けであればフィクションから教養書までどんなジャンルでも可能、また、ドイツ文学・思想史研究の専門教育を受けており、ドイツの大学院での研究の経験もあるので、人文学分野ならばゴリゴリの専門書でもできます。連絡先はホームページに記載しています。なにとぞよろしくお願いしたく……! 

 

特に何もしてない

今日は特に何もしなかった。

午前中に図書館に行き、資料を借りてきた。

図書館から帰ってからしばらく翻訳をした。

夕方に犬の散歩に行った。

最近は、本を読む時間を寝る前に無理やり作っている。

昨日までは、トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義』高里ひろ訳、みすず書房、2019年を読んでいた。

そして今は、バルタザール・グラシアン『人生の旅人たち エル・クリティコン』東谷穎人訳、白水社、2016年を読んでいる。

2段組で本文だけで700ページ以上ある。どのくらいで読み終わるかわからない。

 

あ、『気候変動に立ちむかう子どもたち』、Kindle版も出ました。引き続きよろしくお願いします。

 

『気候変動に立ちむかう子どもたち 世界の若者60人の作文集』が出ます

アクシャート・ラーティ編『気候変動に立ちむかう子どもたち 世界の若者60人の作文集』(太田出版)の翻訳を担当いたしました。

3月26日から順次店頭に並ぶようです。また、HonyaClub.comやe-honなどのネット書店でもご注文いただけます。HonyaClub.comとe-honは、全国のさまざまな書店で店頭受取を指定でき、街の本屋さんの応援にもなります。よろしくお願いいたします。(もちろん、アマゾンや楽天ブックスでも購入可能です)

www.ohtabooks.com

 

簡単に内容というか、本書のポイントをご紹介します。

気候変動は地球規模の、切迫した問題であるということは近年いろいろなところで言われています。それでも、対策は遅々として進んでいません。もはや個人の努力では根本的な解決にはならない。システム全体を変えなければならない。そうでないと、自分たちが暮らす未来がなくなってしまう。そういう危機感から、若い世代が立ち上がっています。その筆頭がグレタ・トゥーンベリで、彼女が始めた「フライデーズ・フォー・フューチャー」の学校ストライキは一大ムーブメントになりました。トゥーンベリは国連の会合などにも招かれて、各国のリーダーたちに向かって強い言葉で行動を求めました。

……と、ここまではおそらく誰でも知っている話でしょう。日本でも連日報道されていました。問題は、「ここまで」しか報道されることが少ないために、「ここまで」しか知らない人が非常に多いことです。

そのため、批判にすらなっていない非難(?)が横行しています。いくつか例を挙げるなら、
「グレタ・トゥーンベリだけが一人、祭り上げられて目立っているだけでしょ」
「運動は先進国の金持ちの偽善。発展途上国は経済発展が大事なんだから気候変動対策など求めている人は誰もいないよ」
「学校ストライキやデモなどのパフォーマンスしかやっておらず、科学的に実効性のある対策を何もやっていないじゃん」

これらに対してここで細かく反駁することはしません。本書を読んでいただければ、上の批判(とすらいえないもの)は全て当たらないことがわかるからです。

簡単に言うなら、この本は「グレタ・トゥーンベリ以外」にフォーカスしたものです。グレタ・トゥーンベリの果たした役割はもちろん大きい。しかし地球規模の気候変動に立ちむかう運動は、グレタ・トゥーンベリただ一人に集約されないような、多面的で多層的なものです。それをまず知ってもらうための本だと思います。

寄稿している若者たちと同じ世代にはもちろんのこと、もっと上の世代にもおすすめしたい一冊です。

 

 

私に翻訳の機会を与えてくださり、作業の進行中もさまざまなアドバイスやお力添えをくださった関係者の皆様に心から感謝申し上げます。

春じゃん

いつの間にか桜が咲いて、すっかり春ですね。

犬の散歩でいつもと違う公園まで行ってきた。

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きれいだね。写真はあまりうまくないね。ミラーレス一眼のオートモードで撮っているのだけど、なんか暗くなってしまう。オートモードでやっている理由は、マニュアルでのやり方がよくわからないからです。

 

 

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これはハナモモ。

 

この季節は近場を散歩するのも楽しくて、とても良いですね。